雑文保管所

様々な事柄を深く考えたつもりで書き殴ります。要は雑文です。

【タクティクスオウガ 運命の輪】 ストーリー考察(30)

アルモリカ城へ入る前に。

ラミドスが言う「宗教家は神の名前さえ出せばみな言うことを聞くと思っている」というのは
こういうファンタジー系のゲームにおいては禁句だ。;-)
神は実在するもので、時には主人公が神に直接会えちゃうのがファンタジーRPGの世界だ。
でもこの「タクティクスオウガ」では、かつてニバスが

と言い放っちゃったり、今回のラミドスも

なんて言ってしまったりする。

これはかなり痛い。

これまでに世界で起こった大規模な戦争の大半は異なる宗教、宗派が
「俺たちの方が正しい、相手は邪教だ」として「神の名のもとに悪魔へ天誅を下す」
として引き起こされたものだ。
今世界各地で起こっている内戦も、原因の多くはこれ。
人を救済し、幸せにするために存在しているはずの宗教によって
多くの人が傷つき、死んでいく。

このヴァレリア世界でも、かつてこの島を平定したドルガルア王は
民族の垣根を越えて島の人々が一つになるための手段として、
フィラーハ教を国教とするという、宗教の力を利用しようとした。
王が存命のうちはうまく回っていたようだが、王の死後は再び島は戦乱に明け暮れるようになってしまった。
このうち、バクラム人とガルガスタン人の指導者(というか独裁者)が
ともにフィラーハ教の司教や枢機卿であったというのは皮肉以外の何者でもない。
結局島の統一はドルガルア王という個人のカリスマによって成り立っていたにすぎず、
宗教は権力者たちによって島の覇権を握るために利用されたに過ぎない。

筆者は日本に住んでいるわけだが、正直宗教に対しては懐疑的な立場をとっている。
宗教を信じる人々に対して何か思うところがあるわけではないが、
(信じることによって人々が心の平安を得られるならば、それだけでも宗教の存在する価値はあると思っている)
自分が何か宗教に入信したいか?と問われると、そのつもりはない。
かつて学校で習った、日本の歴史的な問題が根底にあるのかもしれない。
ニュースで流される、異なる宗教間のいがみ合い、同じ宗教ですら宗派間で殺し合いすら行われているという事実もあるか。

なので、上に挙げたニバスやラミドスの言葉に激しい怒りを覚える人もいるかもしれないが、
個人的には彼らの言葉を頭から否定する気にはなれないのだ・・・